長安烈日(祥伝社)谷恒生

大唐帝国を倒した巨魁・黄巣の歴史小説

あの中国5000年文化の黄金期を創った則天武后、そして神器「寶」焼成の勅令を発し

た玄宗皇帝の大唐の終焉を見届けるためにも読まなくてはならなかった。

また非才な私の「寶」本第6章を確認、補足の意味でも必要であった。個人的感情が強い

私の第6章ではあるが、歴史全体の捉まえかたに、間違いはなかった、著書の本文を記し

ておこう。

略転載

ひ弱な体質で腺病質な高宗に代わって政務をみるようになった則天武后は、科挙に合格した

新興の官僚群を率いて、政敵である旧貴族勢力を打ち砕き、政権を掌握したのだった。

数奇な運命をたどって高宗の後宮に入った無名の武氏の娘は、正皇后の王氏と戦ってこれを

倒し、あらゆる政敵を殺戮した。高宗が死ぬと武后は、跡を継いだ息子中宗を帝位から降ろ

し、この大陸の最初にして最後、唯一の女帝になったのである。

則天武后の治世は旧貴族の支配に終止符を打ち科挙出身官僚支配に替わる過渡期を象徴して

いると言えるだろう
                                                                  

この女帝は皇后の座を獲ると、前皇后はもとより寵妃たちを決して許さず手足を切って酒樽

に沈めた、宮城の地下の酒蔵には酒樽に漬けられた女の怨嗟に満ちたすすり泣きが聞こえた

と言う。

派手で、権力欲の亡者で残忍で淫奔で、聡明で、才気煥発で、公平で、雑多で複雑なものを

体内に含有した一代の女傑が則天武后である。

半世紀にわたって宮廷に君臨し、権力という白刃をもてあそんだ則天武后も晩年は宰相に権

力を奪われ、幽閉され83歳で、世を去った。
         11・12頁

安史の大乱とは、いうまでもなく安禄山とその部将史思明の起こした叛乱のことである

絶世の美女楊貴妃に惑溺している玄宗皇帝の隙を衝いて、三鎮の節度使を兼ねた北方の大軍

閥、安禄山が20万の大軍を率いて洛陽、長安めがけて怒涛のように攻め上ってきたのであ

る玄宗は蜀に逃れ途中寵妃楊貴妃は従兵の叛乱によって馬カイ駅で38年の生涯を終えた、

長安に入城した安禄山は息子の安慶緒に惨殺され、安慶緒は部将の史思明に殺された。大燕

皇帝を名乗った史思明も息子の史朝義に殺され、叛乱軍は急速に力を失い9年にわたった安

史の大乱はここにようやく平定されたのだった。

                                                                                    17・18頁

無学な私が調べた歴史観と殆ど同じで安堵した。

                                    平成17年1月